明西寺の歴史(築地移転について)
2021年10月7日
こんにちは。副住職です!
さて、今回は明西寺の歴史(築地移転について)をご紹介したいと思います。
明西寺が神田から築地に移転したのは、寛文3年(1661年)のことです。
きっかけは明暦3年(1657年)に発生した「明暦の大火」、俗にいう振袖の火事です。
「明暦の大火」は、延焼面積、死者ともに江戸時代最大であることから、江戸三大大火(明暦の大火、明和の大火、文化の大火)の筆頭と言われております。
この「明暦の大火」が発生してから4年、開基了頓がお寺を建立してからわずか39年で移動を余儀なくされたのです。
当時の状況を「寺史」よりみていきたいと思います。
当時の江戸幕府の町造り構想は、江戸城周辺を大名屋敷、武家屋敷で囲んで幕府を守り、又一方では寺院を建て外部からの護りとして考えていたようです。そのお屋敷と寺院の間に町家が建てられました。しかし、この明暦の大火の後、防火都市として更に大きい都市への再開発に迫られました。江戸の寺院も、この施策によって築地に集中的に集まることになりました。
この築地へ集中的に寺院が集まった経緯は様々言われていますが、疎開や防火の観点と厄難を共同で防備するためと言われております。また「築地」の意味は「ついじ」で土をもって造った土地という意味で、築地本願寺を含め周辺の末寺を総括した名称で「築地の地中寺」と記されています。
明西寺は寛文3年(1661年)に、創立神田より築地にお寺を移転しました。(現在の築地場外市場)
また、了頓は築地に移転してすぐ、81歳で往生しました。
次回は明西寺の歴史(築地に移転後について)です!